ひとつの症例

ガン患者・家族との関わり方

 

 先日、ターミナル期に深くかかわる緩和ケアドクターの講義を受けさせていただきました。

 

 とてもリアルなご自身に起きたグリーフの過程、回復までの心のお話を患者家族の姿を含めて聞かせていただきました。先生が緩和ケアで務めるきっかけになったひとつの症例がとても心に残りましたのでここに記します。

 

 先生は元々消化器内科のドクターで、消火器には主だったガンが集中してできやすい部位なので、ガン患者が非常に多かった。

 

 あるときご自身の母親がスキルス胃癌になったというのです。そしてなんの因果か、先生が勤務していた病院へ入院。しかし先生は身内のため主治医はほかの方にお願いされたそうです。一度は取り除いたガンでしたが、すぐに再発し、おなかを開いた時には腹膜全体にそれは広がっていたため閉腹したそうです。

 

 その後、みるみる痩せてゆく母親を先生は見たくなかったといいます。

 

 IVHを挿入していたため、身体の機能上一日に何度も胆汁を嘔吐し、寝ころぶと誤嚥してしまうので夜も座ったまま、まともな睡眠は取れなかったそうです。ずっと 吐き続けなければいけないけれど、大部屋だったため、周りが食事中などは迷惑にならぬよう廊下の丸椅子に腰かけたりしておられました。嘔吐物の成分で喉が焼け、痛みを伴うそうですが、喉を氷で冷やすと楽になるということで、先生が頻繁に氷を持って行ったそうです。眠れず、吐き続け、半年以上この生活が続いたと。

 

 しかし、先生は弱りゆく母親を前に何を話してよいのかわからなかったといいます。とにかく忙しそうにして、一方的に話をしてほんの数分で逃げるように帰ってくる。そんな日々だったと。

 

 弱音を吐かない気丈だった母親でしたが、たった一度「もうあかんと思う」とこぼしたとき、「なにゆうてんねん!そんな弱気なことゆうたらあかん」と叱りつけてしまったそうです。それからは二度とそういう弱音を言わなかったというのです。
痛みももうモルヒネで取れなくなり、人間の限界を迎えていた。そのころ60㎏あった体重が30㎏を切っていた。身内に「こんなになるまで死ねんのか……」と言われたのが非常にきつかった。

 

 最期は横になって眠らせてあげたいと、全身麻酔薬の持続点滴を投与し意識を除いたため、胆汁が逆流し、誤嚥性肺炎を起こし、一週間で永眠をされました。

 

わたしがこれまで携わらせていただき出会った故人さまとご遺族のことがフラッシュバックしました。

 

 『死因:誤嚥性肺炎』と、死亡診断書に記載されるそれでした。

 

 本来戦ってきた壮絶な病名も出来事も、わたしたちは知りません。ですが、知り得なくとも想像を起こすこと、感じ取ることは忘れてはいけないと改めて思いました。

 

死後の変化

 

 先生は、それまでたくさんの臨終に立ち会ってきたそうですが、自分も死ぬだろうとは思わなかった。ところが母の死を目の当たりにして、「ああ、自分もいつか死ぬのだ」とわかったのだそう。

 

 その後、自分の無力さを突き付けられ、2年の歳月悲嘆の中にいた先生は仕事を辞めることも考えたそうです。「なんでよりによって自分の得意分野の科で母親が死んだのか」と母を恨んだこともあった。「どうしてあの時叱ってしまったのか」「母親を救えなかった自分が医師でいいのか」「生きている意味がない」……と、自分の存在価値を否定して、問いかけ、無力になる。そんな苦しい日々が流れました。

 

 だけど、先生はやがて、「母親を救えなかった自分だからできること」があるんじゃないかと思うようになります。「母の死の意味付け」ができるようになったのです。

 

 そして、緩和ケア医療へと自ら志願し、現在亡くなりゆく人や家族と向き合っておられるということです。

 

 人は、風邪を引くと病人になります。ですが、病人という概念は自分が作っているのかもしれません。病院に行くと病人になった気がしたり、本当に病気が重くなったり、マインドの思い込みは心身をも蝕みます。樹木希林さんが素晴らしい例でしょうか。あの人はまったく病人に見えなかった。少なくともわたしたちには。

 

 先生はきっと、患者を「病人」扱いせず、普通の「人」として接しておられるんだろうなというのが伝わってきました。

 

 それがどれだけ患者さんの心を救うだろう。と、胸が熱くなりました。

 

 『死を考えることは非常にポジティブなことだ』と、先生は仰いました。どうやって死にたいかを考えたとき、どうやって生きるべきかが見えてくるから。

 

 ちなみに、ガンで亡くなられる方を幾度となく見送ってこられた先生ですが、ご自身もガンで死にたいと漏らしていました。ガンとの闘病には壮絶な苦しみしか想像できない私にとっては、耳を疑いたくなる言葉ですが、多くの医者がそう言っていると聞きます。

 

 先生はきっと緩和ケアの現場で、きちんと準備し、たいせつな方に言いたかったことを言い、したかったことをし、精一杯のお別れができたたくさんのご家族を目にしてきたのだろう。

 

 

※ショーペン・ハウエル(われわれは執行猶予を与えられた死刑囚のようなものだ)

 

平岡 佳江
私は、これまで自分自身や、たくさんの方々の悲嘆、悲しみと遭遇し向き合ってきました。これからは一歩ずつ、ゆっくりと歩を進める人生のなかで、死化粧師としてできることを探求し続け、こころねとご縁ある方々のグリーフを大切にケアしてゆけるよう精進して参ります。