昨日、とある葬儀社の方とお話をさせていただきました。
「大阪市内はめっきり人が変わってしまってご遺族が全然割り切って葬儀してんの。あっさりしすぎてて逆にこっちが悲しくなるんだよ」
うんうん。確かにわたしも葬儀の縮小化だけじゃなくって、人の悲しみ方が変わってきたという感じを受けることがある。
それは地域によったり、生きてきた環境によってさまざまだけど、たしかに都心部では特に顕著にみられる傾向にある。一概には言えませんが、たとえば郊外に外れた大阪の遺族でも南や北で悲しみの向き合い方に大きな違いがあるように思います。気丈にふるまいながらこらえておられるのか、しずしずと静かに涙を浮かべているのか、いらだちとして表に出ているのか。悲嘆の表現は人それぞれですが。
大きな声で悲しみを表現できている人を見ると、わたしはほっとします。
悲嘆のシグナル
では、大阪市内での葬儀にどんな変化が起こってるのか?東京の葬儀はもっと簡素化し、直送が当たり前のように増えているようですが、ご遺体を長時間ひとりぽつんと安置することも当たり前になっています。大阪でも少しずつそうなりつつあります。
ですが、もし遺族の方が無表情に見えたり、反応が薄かったり、割り切っているように見えたり、たとえば触れることすら拒否したり、すべてお任せします。などの態度がでたときは、=愛情がないというわけじゃないんだって、わたしは思うようにしています。
ただ、『悲しみに鈍感』であったり、『死の受容』がうまくできていないシグナルかもしれないって。
とはいえ、本当の意味であっさりした遺族ももちろんいます。今回の対談はそういう人が増えてきた気がするという考えさせられるお話でした。
あっさり葬儀をすると、きっとあんまり悲しまなくて済むような気がする。
だけど、あとになってきちんと向き合わなかったと後悔しないかな。きちんと向き合うことっていうのは、葬儀の規模の話じゃないんですけどね。
自宅葬ってなんかいいよね
「自宅葬ってたいへんなんだよな。前なんか2階建ての狭い家で、10人くらいしか参列来ないって聞いてたのに40人来ちゃって、みんなでぎゅうぎゅうづめの葬儀だった。でも『ありがとう、家でやってよかった』って言ってくれたからよかったんだけどね」
そう話しているとき、その方も笑っていい顔されてるんですよね。いい仕事されたんだろうな~と伝わってくる。
自宅葬って賛否両論もちろんある。立地、近隣関係、大きな荷物を片づけたり、体力がいるなどたいへんなことがいっぱいかも……でも葬儀社側も、お家の人もきっと満足感がある。
自宅で葬儀といっても昔のイメージみたく大変な規模ではなくてマイホーム葬だとか、リビング層だとか小さい自宅葬ってのが、実は今の見直され始めている葬儀のひとつ。たいへんなのに変わりはないかもしれないのだけど。
狭い家だけど、家に連れて帰っていいの?この家で葬儀なんかできるの?って、なにもわからない人にも、そんな選択肢があったらいいなって思う。
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おくり化粧 こころね