なんか違うんだけど、ありがとう。

今日は秋の終わりを感じるさめざめとした雨が降る日。

空は灰色で、白い雲はほんの少しそぞろに広がる。昨日見た虹はまるで遠い過去のように感じられる。

わたしには娘と息子が一人づついるのですが、娘とわたしの関係は、母と子とはなかなか表現しづらい関係だったような気がします。

わたし自身が、親子。や、家族。そう言った類の言葉に興味を示すようになったのは中学生になった頃でしょうか。

友達の家との違いに感じたカルチャーショックや、生まれた地域や、家族から離れた時に知り得た新しい世界での挫折。

一般的な教育を受けず、世間離れした環境ですこし特殊な10代を過ごしたわたしと、わたしの兄弟。

家業は肩代わりの多額の借金で追い詰められて、破産目前の頃だった。

そんな時にわたしの元にやってきたのは、まるで穢れの知らない赤ん坊だった。

わたしたち家族にとって、深い闇の中に現れた唯一の希望のような光だった。

何も知らないわたしは、自分がほのかに描いた夢も簡単に手放し、無我夢中で古い育児書を手に持った。胎教がなにか良いのだと聞いて毎日数ページづつ腹の赤ん坊に読み聞かせてみたりした。

本当の試練は産んでからだった。

出産は破水騒ぎの後、真っ裸で分娩台の上で帝王切開の麻酔待ちの状況下、急遽自然分娩にて生まれたこと以外には、なんなく無事に娘は生誕した。女の子だった。

ただ、彼女とは新生児の頃からそう簡単に心が通うことはなかった。

一人目の我が子に、一生懸命向かう姿勢でいるわたし。

かたや、自分の指2本を吸いながら、布団におろしてちょうだいとねだる新生児との信じられない戦いがはじまった。

彼女は生まれたその日から自立しているようにさえ見えた。そのため、わたしは、娘を抱いて寝かせたことがない。だけど、少し内弁慶なところもあり、他所では見せない好奇心や甘え心を、時々家に帰ると見せるところもあった。

彼女は、生まれたばかりの弟のほっぺを噛み、たくさんアザを作った。

人形を紐で縛り付け嬉しそうに笑っていたり、そんな光景を目にするとき、子供というのは本当に残酷で不思議なものだと思った。我が子が本気で映画のヒロインではなく、悪役のヒロインのように見えた。

小学校低学年、校長先生や担任の先生に対し『シネ』のような文字をノートに連ねていたことには、わたし自身が家族の在り方を考えさせられたし、娘の心を案じた一件でもあった。

中学生に上がった頃、離婚や引っ越しで苦労させた後ろめたさはあったものの、先生や目上の人を小馬鹿にするような言葉に我慢できなくなったわたしは、『自分みたいな人間は大した人間じゃない、わたしは生かされている、生かしてもらってるのだと思いなさい!』と、かなり自尊心を壊す発言を娘にした。

それからというもの、彼女は家に引きこもったり、友達を上手に作れなくなったり、暗くなったりした時期がしばらくの間続いた。

長い闇の中彼女には救いがあった。
それは「正義感」。

正しさを貫かぬ大人に対し。
軽々しい偽善に対し。
間違った教育に対し。

だから、彼女の周りには数少なくとも親友と呼べる友ができた。裏表のない発言をする彼女のお陰でイジメから救われた子もいる。信頼される何かがある。

いつだって、「なんで?」「どうして?」と、真剣に向き合っているのは彼女かもしれない。

そんなふうに思うこともあった。

八方美人なわたしのことは、嫌なものは嫌とはっきり言える娘にとって信頼できない存在だったろうし、わたしの価値観や物差しで見るからはみ出ているように見えたかもしれないけど、誰よりも自分に純粋に生きているひとなんだろうなと今は思う。

そして、そんな性格から辛い思いをいっぱいした娘は、今となっては『天使力』を輝かせて人を癒せる存在になった。

まさに、天使と悪魔は表裏一体。

あれから、「母さんの死化粧くらい、自分で出来るようになってたいから、覚えさせてよ。」そんなことを言うもんだから、お互い生まれてはじめて師弟の関係になった。

仕事っぷりはよかった。
思った以上によかった。

今まで、母としては尊敬されたことはなかった。
なんで母さんは普通の母さんじゃないん?だとか、いつも言われていたし。(そっちだって普通の子供じゃなかっただろとか思ったけど)

だけど、仕事ではわたしの手を、姿を尊敬の眼差しで見つめてくれた。

わたしは、なんだかとても生きている心地がした。

自分にも誰かに教えられるものがあったのかと思えた。

娘はその才能に満ちた腕っぷしを、今後どこで発揮するかはわからない。

だけど、わたしは。

「なんか違うけど、ありがとう」

そう、いつも心で彼女に伝えてる。

きっと、大概の人、人間関係において、なんか違うことなんて当たり前だと思う。

だけどさ、なんか違うなんて、大した問題じゃないんだよね。本来は。

今、わたしと娘の親子関係が人生で1番安定している不思議をどう伝えたら良いのか?

わからずブログにしました。

気が合うようで合わない。合わないようで合うような、結局互いに必要な存在だったりするあなたにとって大切な人は、果たして誰なのでしょうか。

平岡 佳江
私は、これまで自分自身や、たくさんの方々の悲嘆、悲しみと遭遇し向き合ってきました。これからは一歩ずつ、ゆっくりと歩を進める人生のなかで、死化粧師としてできることを探求し続け、こころねとご縁ある方々のグリーフを大切にケアしてゆけるよう精進して参ります。