お身体の変化
人が亡くなると、そのお身体は時を追うごとに儚くも徐々に変化してゆきます。
それはとても自然なことではありながら、この現象が遺された者の悲しみをより深くし、火葬までの故人との実際の距離を遠くしてしまうこともある。
実にさまざまな事情の中、人々は臨終という終焉を迎えます。そして、遺された方々は目の前で眠る大切な方の急激な変化をそれぞれの思いで受け止めます。
ご遺族が故人を思う気持ち、故人ご本人の気持ちを想像するに、お顔の復元を望むこともまた自然のことではないかと思います。
例えば、化粧が不要に思えるほど綺麗なお顔をされている場合、またすでに「とてもいい顔をしてる」そう感じるようであれば、死化粧などいらないかもしれない。
ただ……「ちょっと怖いな」「本人らしくないな」「髭剃りや髪の散髪を予定していたのにな」など、違和感や心残りが少しでもあると思われる場合、死化粧を施してみてはいかがでしょうか。
きっと、あなたの心に「ほんとうによかった…」と安心の音が響くことでしょう。
この心の音こそが、亡き人へ贈る「尊厳」という最高の贈り物であり、あなたの心における最初のグリーフケアなのだと私は確信しております。
現代葬儀には様々なオプションがございますが、死化粧が持つ重要な意味を今一度考えていただきたいのです。
心音の死化粧はご遺体をただ保全するためだけのものではありません。ご遺族の意思と故人の心音に耳を傾けてその方らしい、よりよい表情を引き出し提案すること。
また、死化粧は決して安くはない金額かもしれない。ただ、私はこう考えます。さきほども述べましたが、死化粧は遺族から故人へ贈る「尊厳」という最期の贈りもの。
もしくは、なんらかのぬぐい切れぬ思い、後悔を持つ遺族自身が、自分を許し納得し得るための、戒め料でもあるのではないかと。
「死に方」の変化と共に…
数年前までは日本において8割の方が病院で亡くなっていたが、「長く生きる」が、良しとされた時代から、脱病院路線に切り替わりつつあり、徐々に「死に方」が変わってきている。
それと同時に人の死生観に変化が生まれ「生き方」も変わり、「おくり方」だって変わりつつある。
以前は医師にお任せするお任せ医療や、日本独特の医師への信仰心。面倒な自宅での世話を避け「最後まで治療させた」ことで得る安堵感で遺族は満たされようとした。
ここ数年、このような考え方から人々もようやく脱し始めている。
実際に在宅療養、ホスピスや緩和施設等で看取られるという方が、少しずつ増えてきているというのが証拠ではないでしょうか。ガンは今、残りの生き方と死に方を考えられるから良いのかもしれないとさえ考える医師も増えているのです。まさに、QOL=Quality of life(クオリティ オブ ライフ)『人生の質を高める』という考え方のシフトです。
医師さえも避ける闘病とは、きっと私たちの想像以上に壮絶なものであり、そうとうの覚悟が必要なのだと思います。
しかし、医師は遺族に決断を迫らなければいけないのです。
もし、少しでも生きられるという一片の光が差すのならば、難しい決断を迫られたその時、私ならどう決断が出来るだろうか。
様々な強い決断と意思を持って一生懸命に生きた故人。その声に耳を傾けて私にできることはないだろうか。
死化粧で何を伝えられるだろうか。
死化粧で何を変えられるだろうか。
考えても答えは見つからないけれど、耳を傾けると「心の音」が聞こえるのだと信じてやまない。