突然ですが、葬儀には葬儀担当のディレクターさんが自分のお客様を持つものです。
このお仕事(納棺)は、通常指名制度といったものがない業界です。(東京では指名にも対応してくださる納棺会社さんなど一部あるようですが…)
皆さんはどんな方でも、知り合いの美容師があったり、行きつけの美容室を持っていることでしょう。
しかし、「知り合いの死化粧師」を知っておられる方がほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
こころねで独立後、お仕事をさせていただくようになり、先日心に残る出来事がありましたのでここに記させていただきます。
ある日、おくり化粧のご依頼があり、とあるご自宅にお伺いさせていただきました。とても美しい男性の故人さまでした。娘さまは看護師さんで、死後処置やメイクに関しても興味を持って側でずっと見守っていてくださいました。
ご遺影のお写真に選ばれたのは、夫婦で10年ほど前に行った船旅の際の夫婦一緒のお写真でした。歌と旅行がお好きなお洒落でダンディーなお父さまだったことが伺えます。旅立ちのお衣装は、その船旅の時に来ていたスーツに正装いたしました。
私がお化粧をしているとき、娘さまは時々涙ぐまれながらも色々なエピソードを話してくださったり、笑顔で場を仕切っておられました。その時、隣で奥さまが、大好きなソファでウトウトと居眠りをされているのが印象的でした。
お母さまも仕上がりにとても喜んでくださり、笑顔で「良かったね」とお父さまに話しかけておられました。帰り際、娘さまへ死後処置等のアドバイスなんかもさせていただき、無事にその現場は終えて帰りました。
最後までみずみずしく、美しいお顔のままお旅立ちされたと後日ご連絡をいただきホッとしておりました。
ところが、役3週間後同じ葬儀社様から連絡が入りました。今回も同じご住所…そう、同じお宅だったのです。
あの時、ウトウトとしておられた奥さまがお亡くなりになられたとのことでした。
お父さまの時も十分に悲しまれていたので、娘さまの心境を想うと、とても気が重くなりましたが意を決して向かうことにしました。
後追いというのは、たしかによくあるあることではあるのですが、今回はちょっと気持ちが違いました。というのも「あの方を呼んでください、同じ人に来てもらいたい」と、ご遺体を搬送している最中に娘さまが葬儀社さまに訴えかけてくださったからです。
そんな大変な時に、私のことを思い出してくださったこと。うれしかった。
そういうわけで、ご自宅に到着しご挨拶にあがると、目を真っ赤に腫らした娘さまがと今度は立派な青年の息子さまお2人がお出迎えくださいました。
亡きお母さまに手を合わせ、娘さまにご事情をお伺いすると、あの日、お父さまにおくり化粧をしたその晩にお母さまが倒れられ、ご入院を余儀なくされたと。それからは一度も家に帰ることができず、病院でお亡くなりになったということでした。実は以前からすでにお母さまも病に蝕まれていたそうです。
ということはあの日がご自宅最後の日だったということだったということ。葬儀には病院から外出し参列したそうです。
今回はさすがに娘さまが、身も心も疲れておられるのが見て取れました。さて、私の出番だ。そう思いました。
娘さまは看護師さん、今回はお母さまのことだから、お疲れのところ申し訳ありませんが、是非着替えを一緒にしてあげてくださいませんか?と申し出をしてみたところ、快く引き受けてくださった。さすがプロです、優しく優しくお母さんに話しかけながらスムーズに着替えが済みました。
お母さまのお旅立ちのお衣装は、あの船旅のときに来ていたアンサンブルとスカートのお洋服でした。そして、大好きな黒木瞳さんのようにお化粧をしてあげてください。と、ご希望がありました。もちろん、ご遺影のお写真はお父さまと2人で映ったあの船旅のお写真です。
痩せてはおられましたが、綺麗な顔立ちの方でしたのでお化粧をしながら、本当に黒木瞳さんに似てきたように思いました。仕上げの口紅は娘さまに筆を入れていただき、その頃には彼女のご表情もずいぶん柔らかく落ち着いてきました。
息子さん達も「化粧したらこんなに変わるんだ、すごい」と、驚き思わず微笑んでしまった様子。
このステキなご家族の大切な節にお呼びいただけたこと、このご縁に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
帰り際、「私にとって一生忘れられないお仕事になりました」そう伝えることで精一杯でした。
今回、娘さまにとっておくり化粧の存在は、その方の尊厳を守るものという認識であることは間違いないなと感じました。
看護師さんという命の現場におけるプロの目線から見て、必要なものだと感じてくださったのだろうと思います。
「おなじ人にお願いしたい」
「あの人がいるならまた来よう」
「またあの方にお会いしたい」
など、我々消費者は常に感じていること。コンビニでもスーパーでも、どんなお店でも。こころねも、いつか求められたとき、ささやかながらいつも変わらずここにいられるようこれからも精進して参ります。
また、どこかで。